妄想して全てを合理的に思えたらそれはもう妄想の極みだよ。
妄想でも筋合いが合ってないと妄想の道は阻まれる。
でも全ての理由が同じ結果を導いたら、もう誰にも止められない。
科学者の発見も、初めは妄想レベルだけど、それを証明する証拠を必死に探して、
最終は結論を出し、世の中の人に笑われようが尊敬されようが、本人はきっと満足してる。
日本語で考えることができる自分はすごいって思った。それに、日本語で考えるのも面白い。中国語にチェンジするときはそれをもう一度翻訳しないといけないのが面倒くさいけど。
これって中国語でなんて言えばいいんだっけ、って悩んで、面倒くさくて全部日本語の文法で翻訳したらひどいことになる。
考えるのは、違和感を感じることが大事なんだ。工藤新一みたいな、違和感に敏感な人は考えるのが好きだろう。そして正解を導いたことに達成感を感じるんだろう。
そして、現代の中国語には「違和感」に相当する単語はない。日本語は絶妙な単語がいっぱいあるのに中国語では表現できない。
現代の造語も日本語のほうが優秀な気がする。二種類以上のシステム(漢字、仮名、外来語)が混じってるから言語の感覚が優秀になるのか。
漢字の文字の意味を一度だけ答えを見つけ出したけどね、ショックが大きすぎて忘れちゃった。
中文の漢字の意味を知ったら、古文(正體中文の原文)を見るのがすごく面白かったね。
あれだけ凝縮された文字の文章は素晴らしいと思う。日本語は今の中国語よりもっと拡散された感じ。
人類世界の真実は残酷だ、っていう結論しか覚えてない。「でも美しい」って言える人はきっと誰かに愛されてるよ。だから言えるんだ。
意味を知っちゃったら、全ての文字が怖く見える。「え、もしかしてこれも?」ってタイピングしながら手が震える。
今は当時の気持ちだけ覚えてるけど、意味は全然覚えてない。ただの妄想だったのかな。
小さい頃は弱くて、もし現代の医療技術がなかったら死んでただろうな、って思うようになって、
自分のことは「淘汰されたはず」なのに、どうして私は生きてるのか。
生きることに、きっと何か意味があるんだ。現代の社会になんか貢献できるから生かされるんだ、って。
でもそれは違った。私はお父さんとお母さんに愛されてるから、死んでほしくないってだけで、必死に私を死神の元から救い出した。
そう思うと涙が出そうになる。もし愛されてなかったら、…って想像するのが怖くて怖くて。
言葉には言霊の力がある。自分になんか言い聞かせるだけで、生きるチカラは得られるんだ。
だから、つぶやくんだ。誰に見て欲しいとかそういうのじゃなくて、ただ言いたいだけだ。
でも、中国語のサイトではそんなことは言えない。変人だと思われたくないから。絶対引かれるって。
ツイッターにリア友はいない。私の変な噂を流す人もいない。
だから言いたい放題で気が楽。中国語で使ってるサイト、plurkやfacebookでは誰でも分かることしか書いてない。日本語もあまり使ってない。
言語っていうのは、パスワードみたいなもので、たとえリア友がここを見つけても意味はわからないからすぐ閉じるだろう。
それが私が作った壁。無駄に翻訳を付けないのもそうだ。もちろん、ツイッターやニコ動関連の人が私のplurkを見てもわからなくてすぐ閉じるだろう。
私に興味がある人は見てもいいけど、相当な努力は必要だから、それに敬意を表し、私のヒミツをプレゼントしよう。別に知りたくなるようなことでもないけどね。
拡散された言語は素晴らしい。真実に近づくほど理由は拡散されるからだ。
でも凝縮されたのも素晴らしい。一つの字でいろんな意味を表せるから。
化学→物理→数学→哲学の順番で拡散されてるっていうのを塾の先生に教えられて、なるほどなって思った。
哲学が好きです。